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2004年歿 43歳
漫画や小説
1000ページを超える大作漫画(小説?)『やる気があるなら来い』の扉。自ら既に「駄作」と書いている。
扉裏面の「あらすじ」。
『やる気があるなら来い』
PART6の扉。登場人物が増幅している。別のページには、それぞれのキャラ設定などもある。
小説
別バージョンの原稿には、『雨の中』とタイトルがついている。
小説『愛』
「せっかくのムードがばりばりだわ」斬新な描写。
計算
何のための計算かは不明。おおむね合っているようだ。
相撲の番付
実在力士による架空の取り組み表。贔屓だった力士は、昔は横綱・三重ノ海、後には大関・魁皇。
三歳半くらいの頃
軽い発作は起きはじめていた。時代を感じさせる「シェー」のポーズ。
私より六歳下だった弟は、生後間もなく原因不明の脳内出血を起こし、長く入院した。血液製剤など影も形もない時代だったものの、幸い命には別状なく、ただ、その後は後遺症のテンカン様発作に悩まされるようになった。飲み薬で発作を抑えるのだが、抑制効果が強いと日常的にボンヤリしてしまうし、かといって弱めれば昏倒するような大発作が起きてしまう。
医師が薬の配合に四苦八苦する中、避けがたく繰り返す大発作により、弟の脳細胞は少しずつ壊されて行った(後年には、CTスキャンの画像などでも異状がハッキリと判るほどだった)。そのため、年齢を重ねるうちに知的な遅れが明らかになり、社会性や一般常識には欠けている一方、変な所にはこだわりがあり、家族は〝『男はつらいよ』の寅さんソックリだ〟と良く言っていた(そうからかわれながら、弟自身も、あのシリーズが好きだった)。中途半端に理屈はこねる(判る)けれども、あくまでそれは自己中心的で勝手なものなので、親も私も一切を寛容に見過ごすことは出来ず、しばしば腹を立て衝突した。
同時に、今風に言えばアスペだのサヴァンだのという話にもなるかもしれないが、漢字や数字には非常に強く、知人や有名人の年齢・誕生日も不必要に覚えていた。相撲が好きで、力士の難しい四股名など小さい時から漢字で書くことが出来た。ある程度までの計算もこなし、野球中継を見ながらスコアブックをつけ、打率や防御率は筆算で弾き出した。ゲーム機やパソコンも多少は動かせたし、将棋や麻雀も――特に強いわけではないけれど――出来て、将棋は町のセンターへ一緒に指しに行くこともあった。
漫画を熱心に描き、自分で〝屋根おばけ〟というメイン・キャラクターを作っていた(『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくる妖怪「やまびこ」――かぶった蓑が屋根のように見える――を真似たものと思う)。色々な作品を「読んで」と時おり見せられ、別に面白くも上手くもない絵柄にストーリーなので評価しようもなかったのだが、本人は至極真剣に描いていたのだったろう。原稿用紙に何と1000枚以上の大長編が今でも残っている。
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