top of page
大平首相死す
なぜか、珍しく政治に関する文章。1980年6月に書かれたもの。
親孝行しなければ……と
親を困らせているという自覚、自省はあったらしい。「炊事」の「炊」が思い出せなかった模様。
『死』と題された詩
時期不明。「別涙」と書いて「わかれ」と読ませていると思われ、因幡晃の曲『別涙』(1976年)から使ったものか。
弟は、自分の血友病、【C型】肝炎に関しては明確に認識していた(次第に肝機能が悪化する中、強い薬剤である抗テンカン薬が負担をかけ、しかし、もちろん服用をストップすることは出来ず、両者の兼ね合いも病状を厳しくする要因となった)。しかし、HIV感染に関しては、最後まで本人に伝えることはなかった。弟は血友病や肝炎に関して何ら屈託がなく、学校でも病院でも、後に通うようになった作業所でも、誰に対しても〝ボク、血友病なんです〟〝肝臓が悪いんです〟とためらわず話すため、自分がHIV感染していると知れば、それさえも平気で口にするだろうと想像され、当時の世相を踏まえれば、それはさすがに危険と考えたからだ(ただし、作業所のスタッフには、万一の外傷などに備え、事実を伝えてあった)。
そもそも兄弟間の六歳の年齢差は大きく、一般的にも対等な関係の成立は難しいかもしれない。私は弟としゃべったり遊んだりは幾らもしたけれど――たとえば政治とか社会とか人生とか病気とかに関して――しみじみ深いやりとりを交わすことはなかった(出来なかった)。その分、特に少し歳下の血友病患者に対していると、自分がその相手をなんとなく弟に準じた存在として見ているように感じる時がある。
漫画とともに、弟は小説や詩も好んで書いていた。スポーツ新聞や相撲雑誌ならば熟読しても、「本」を読む機会は少なかったのに、文章は奇妙に凝っていた(ストーリーは、漫画と同様にとりとめなかったが)。上の詩は、二十歳になる直前あたりに書かかれたもの。
bottom of page