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N・Aさんの部屋
1985年歿 28歳
臨床検査技師を目指して東京へ。
主治医の励みの言葉に救われて、自分の道を選んでくれました。
昼は病院で実習の見習い、夜は学校で勉強。
ハードな毎日だったと思います。
職場、学校の友達に恵まれ、楽しく過ごしていたようです。
皆さまに深く感謝して居ります。
私は息子に、もっともっとしてあげたい事が一杯あったけど、働くのに精いっぱいでした。
ずっとずっと悔み続ける事と思います。
昭和60年の2月には大分やせて来ました。
そして下旬頃から嫌な咳が続き、私は主治医の先生の紹介で息子を医大に受診させました。
レントゲンで肺が真白。4日位しか生きられないでしょうとの事。
私の頭も真白になりました。
前年の12月、臨床検査技師として正社員になれ、喜んで頑張っていましたのに!
ある朝、課長から仕事を頼まれたから退院すると、入院中も仕事の事しか頭になかったみたいです。
○○先生(主治医)も来て下さり、説得して下さいました。
40日間の闘病生活。最後、目を落す時、ひとしずくの涙。無念の涙だったんでしょうネ。
どなたからも良くして頂き、その点は幸せな息子でした。
行年二十八才。
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