薬害エイズの被害者は…… 感染症新法の問題点と今後のあり方について
差別・偏見への取り組み
薬害エイズの被害者は、HIVに感染したことそれ自体の苦しみ
に加えて、HIVに対する心ない差別と偏見にも苦しめられた。
アメリカで人間の免疫システムを破壊してしまう「奇病」によって、184人が亡くなり、発生率と範囲が驚くべき早さで進んでいる、とワシントンポスト紙で報じられたことが、1982年7月に日本でも新聞の片隅に掲載された。
この小さな報道の中に「血友病」という文字を見いだした、血友病患者・家族の漠然とした不安は、次第に現実のものとなっていった。
当初、「対岸の火事」のごとく報じ、散発的であったマスコミのHIV/AIDSに対する扱いは、1985年に第一号患者の報道と血友病症例の報道が新聞一面を飾った頃から、患者探しの様相を帯びるようになり、1986年11月の松本市内で就労していたフィリピン人の女性が後にAIDSであったことが報じられたことをきっかけに、87年1月の初の女性患者の発表、2月の感染者の妊娠の報道と続き、エイズパニックと言われる、魔女狩り然とした様相を呈して行くことになる。
薬害エイズの被害者は、差別と偏見を恐れ、HIV/AIDSのみならず、血友病であることすら隠さざるを得ない状況の中で、追いつめられていった。
HIV/AIDSを過剰に恐怖する世論に押される形で、政府は1987年3月に「後天性免疫不全症候群の予防に関する法律(エイズ予防法)」を国会に提出した。この法律は、患者に対する医療提供の視点がなく、むしろ差別助長するものであるとして、患者や法律の専門家などが反対し、継続審議となったが、1988年12月に修正案が成立した。
こうした経緯から、HIV訴訟原告団・弁護団は、エイズ予防法の撤廃を始めとする、HIV感染者への差別・偏見の解消を主張し、裁判和解成立後も活動を行ってきた。その成果として、1998年10月にエイズ予防法の廃止と「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(感染症新法)」の成立が実現した。
感染症新法には、一般法としては異例の前文が付され、「我が国においては、過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である」として、原告団・弁護団が求める理念が明記された。
(文責:花井十伍)