患者の声
証言記録
大阪HIV薬害訴訟 1992年2月13日 石田𠮷明証人尋問記録より抜粋 <原告側 代理人質問>
――提訴しない感染者が、数としては圧倒的に多いんですけれども、あなたが見聞きした限りで、なぜ提訴しないのか、なぜ踏み切れないのかという理由について、どんなものがありますか。
先程から申しておりますように、告知を受たものの、まだ、奥さんとか、両親に、兄弟に、言えなくて、まあ、家庭の中でも孤立してると、で、だから提訴する際には、やはり家族の合意というのが一つの前提となるんで、それが越えられない、まず、これが一つですね。で、提訴する際には、やはり投薬証明が要りますので、近所のホームドクターとかいう方にもそれを依頼していくこと、その際に、医事課とか、そういう近所の奥さん連中がパートタイマーで行ってますから、そこから先、漏れないとか、そういう不安があって、なかなか増えないというか、踏み切れないという状況なんです。
――現に親にも言わないで、提訴している人も、いるんですか。
いらっしゃいます。
――それから他にどんなことが考えられますか。プライバシー以外には。
そうですね。やはり厳しい、残された命との戦いの中で、はたして、この裁判闘争がどこまで自分の体力でやれるかという、体力的な不安というのもあると思います。
――あなたも当然、体力的な不安はありましたね。
はい。
――それをなお踏み越えて、乗り越えて、提訴しょうと思うようになった心境は、どういうものだったんでしょうか。何かを求めて提訴したんですか。
先程から申しておりますように、行政交渉で救済という、手順を踏んできたものの、まあ、私たちの要求から程遠い結果になったことが一つと、今大阪HIV訴訟39名患者がいるんですけれども、やっぱり提訴したくても、仲間に加えたくてもできない2000人の患者、感染被害者、すべて完全救済というか、全面的な解決ということでないと、この裁判は勝利した意味がないというか、やはりそういう思いでやりました。
――つまり、裁判で法的責任を明らかにしながら、全体の解決を図っていきたいと、こういう思いで提訴したと。
そういうことです。
――それは、あなたおよび、一緒に提訴している原告のひとたちの共通した思いですか。
そうです。
――それから現在の患者の状態、先程いろんなお話を伺いましたが、この、最近の特に顕著な傾向というのを、何か感じられますか。あなたの主観で結構ですが、患者の置かれている状況、あるいは、発症のケースとか、そういうものを見られてね、何か感じられることがありますか、最近。
はい。既に、我々の仲間に限って言えば、39名の原告の中、既に8名がお亡くなりになっておりますように、だんだん発病の段階になって、厳しい、半年ごとに厳しい状況に、原告患者の中でもそういう状況にあるということです。
――つまり、発症のペースが早まっていると、そういうことですか。
そうです。感染時期からおよそ10年経過して、いよいよ発症のピークにさしかかってきたんじゃないかということをひしひしと感じております。
――そこから、よく弁護団のほうにも、できだけ早い解決をということを訴えておられますけれども、そういう心境が強いということですね。
はい。
――裁判の促進をお願いしたいということですか。
はい。
――それから、あなたが最後に国や企業に言いたいことがたくさんあると思いますが、特にこの法廷で、あなたが言っておきたいことというのがありましたら、お答えください。
原告患者を含めて、全ての感染被害者の、先程言いましたように、全面的な救済、解決、それを存命中に十分な賠償ですね。それが一点と、国と製薬会社が、我々命のある状態の中で、謝罪してもらいたいと、そういう思いでいっぱいです。
それから最後にもう3、4点ありまして、僕ら自身は、今、発症、予防、治療という中で、全国2000名の患者が、先生方の協力のもとに、何とか、医療環境を整備していきたいなと、やがては一般感染者が増えたときに、その受け皿として、右往左往することなく、僕らの医療現場に入ってきていただければと、感染経路は別にしてね、それを必死に作ろうとしています。だからこの差額ベッドの問題とか、お医者さんの過剰反応とか、そして十分なそういう受け入れ医療機関には、国の補助とかいうことも、やっぱり裏付けがないと、なかなか精神論ではできませんので、これを是非ともお願いしたいと。
二つ目には、最近、一部のマスコミの報道、先程の資料映像の問題もいいましたが いわゆるフリーセックスいうか、爛熟した性の時代を戒めるために、昔、子供がおいたしたときに、お巡りさんが来るからやめなさいということで、変なたしなめられ方をしたと思います。それと同じようなことがフリーセックスを抑制するために、こわいこわい症候群というようなエイズのイメージを作り出して、だからそういうことをしてはいけないんだと、そういうエイリアンのようなものを作り出していくんだと、それははっきり分けないとおかしいんじゃないかと、そこにはやっぱり打ち震えている感染者、つまり人間がいるわけですから、ここを間違わないように、いくら僕らが、先生とともに正しい知識の普及というものを繰り返しやったとしても、そういうテレビにのって、恐ろしげな映像が、今後10年も15年も20年も延々と続けられたら、いったん刷り込んだものはなかなか消えないし、かなり厳しいんじゃないかという思いがいたします。
最後に、血友病患者2000人の、全面解決もさることながら、やはり感染経路は別にして、すべてのHIVの感染者に対しても、共に生きていく世の中を作ると、それは僕には可能だと思うんですよね、先だっての、マジックジョンソンが活躍されたことを報じられていましたが、「エイズに勝ったスポーツ」という見出しが最近の新聞に載っていましたが、やはりこれが、僕らが待ち望んでいるというか、作っていく世の中だと思います。決して病気に負けないで、難病と共に生きる社会を是非とも皆さんの協力で作っていくことが、全面解決ではないかという思いでいっぱいです。
以上です。
同年5月28日反対尋問より抜粋
――最後に石田さん自身にとって、前回主尋問された以降の状況もふまえして、何か言いたいことがあれば、簡単に言ってもらえますでしょうか。
前回体調を崩しまして、約三ヶ月、その後、また入院しておりまして、五月に入って、ようやく治療が奏功して、一時釈放というんですか、退院を許されました。 それで、家におりますと、やはり昼夜を問わず、電話で、僕が、五月に入って、3週間ぐらい家にいた中で、二人が亡くなってしまったということも先日ありましたし、今日の法廷にもいらっしゃる予定の方が、言いようのない倦怠感に襲われて、切符は買ったんだけれども、出ていけないとか、お父さんが傍聴にくる予定だったんだけれども、息子さんが、ついにカリニ肺炎で酸素テントの状態になってしまったとか、あるいは、意識不明に陥ってしまっているとかいうことで、たった三週間の家にいる中でも、すごい状況が段々激しくなってきていると。特に、今日、最後に、皆さんにお聞きしていただきたいのは、つい先日の、ある地区からのお母さんの電話で、もう末期状態の息子さんが、家に帰りたいということで、一応家に帰らして、その朝、親子ともども泣いて、心中したいというところまで追い詰められたと。
その晩、僕の方に、お母さんから電話があって、しばし、僕と話しました。
そして、息子さんに、どうしても、僕と話したいからということで、電話を代わられて、その間、僕も励ましておたがい頑張っていこうねと言ったんですけれども、それでまたお母さんに代わって、しばらく話している中で、今度は、電話の遠いところで、突然彼が泣き出しました。今の状況がとても辛いと。一日も早く特効薬が欲しいと。こんなことたまらないというふうに、泣きじゃくる訳です。それで、僕も何も答えられなかったほど、僕自身も、そういうような同じ境遇の者にとって、返す言葉がなかったと。そういう思いがしていました。そして、お母さんの、後の電話で、こういう状況をぜひともビデオテープにとって、きつい作業なんだけれども、皆さんに見てもらいたいというところまで、思い詰められておりました。残念ながら、今日のこの日に、ビデオテープは届かなかったわけですけれども、それほど、皆は、僕と同じような立場で、一人一人、今の心情を吐露したいというか、聞いて欲しいと言うことなんですけれども、体の問題、プライバシーの問題もあって、それもかなわないということで、そういう思いが、一心が、僕のところへ全部来ています。あえて、僕自身のこともさることながら、皆の声を、そういう形で、代弁さしていただきたいなということです。
最後に、一言加えるならば、僕の友人が、六十一年から亡くなり始めまして、もう15人です。そして、つい先だっての、サーベランス委員会の報告の中で血友病患者が174名も死んでいると。これは、昨年の十一月末現在の数字ですので、五月末に山田先生から報告があると思うんですけれども、およそ半年間で、去年の五月から十一月までにかけて、30人亡くなっていますから、それを換算すると、もう優に200人は亡くなっていると。犠牲者が出ているんじゃないかというふうな、すごいすさまじい薬害が発生しているんではないかという思いです。それが、身にしみて僕の周囲にも伝わってくるという状況の中で、今日も、僕の後ろには、初めて法廷に来られた患者さんもいらっしゃいます。だから、お願いしたいことは、患者の存命中に、原告以外の方、血友病患者、感染を受けた方、薬害を受けた方、そういう方全ての救済を、一日も早くお願いしたいと思います。