患者の声
当事者委員としての私の思い 聞き取りの現場に立ち会って 恩寵と鎮魂 みんな頑張ってますね!
社会参加への一歩 血友病という疾患 語り手として、聞き手として 生きなおすことと医師のモラル
『「生きなおす」ということ』
恩寵と鎮魂
志田 慎太郎
セピア色の映像が走馬灯のように巡る、インタビューを受けながらずっとそんな想いに包まれていた。
親元を離れて学生生活をしていた頃、たくさんの友達が欲しくてたくさんの出会いを求め、そしてたくさんの友達が出来た。
たくさん出来た友達は、自分が歳を重ねていくのと同じように歳を重ね共有した時間を折に触れ語り合えるのだと信じていた。
波飛沫にキラキラと陽光が跳ね返るのを目を細めて眺めるように、自分達の未来に翳を差すものなど何も無いと感じていた。
大学を卒業し就職をし、結婚をして子どもを授かる。そんな風に淡々とささやかに日常生活の時が積み重ねられていく。血友病者であるが故に止血コントロールを怠りなくしなければならないが、日常生活に支障を来すほどのものではないから、もう障害というほどのものでもないと。
同年代の友達も同じように「結婚するよ」、「子どもが出来たよ」の便りを交換し合った20歳代、「俺達はもう血友病って克服できたんじゃないのか」と思い始めた矢先の30歳手前。
HIVに襲われた。
悲しい事に出会ったその友達の殆どもHIVに襲われていた。
最初は何がどう怖いのかさえ分からない状況だった。友達たちも皆騒ぎ立てることもなくむしろ冷静に見えるぐらい静かに事態と向き合っていた。
正体の分からない病魔を前にそのことを語り合えたのは、20歳代に出会った仲間、友達だけだったから、体調異変を起こさない潜伏期を、不安を打ち消すようにひそひそと肩を寄せ合って、今から思えば笑い話にしかならないような民間療法や怪しげな療法の情報にしがみ付き、『藁をも掴む』思いで試してみたりもしていた。
そして何の根拠もなく「大丈夫だよ」と慰め合いながら、それぞれ日々の生活を送っていた。
実際、HIVの犠牲者は仲間たち周辺ですぐさま現れず、「もしかすると大した発症をせずにこのまま行けるんじゃあないだろうか?」と楽観に浸りたくなるほど大人しい期間がしばらく続いた。
しかし、病魔はそんな淡い期待を打ち砕くべくその牙を研ぎ、やがてその本性を携えて私達の目の前に立ちはだかったのだった。
漠然と思い描いていた穏やかな将来像は吹き飛んだ。残された時間の少ない人生をどのように支え直せばよいのか、残る家族に何を伝えておけばよいのか、そしてこの日常を何事も無かったかのごとく振る舞って生活できるのか、様々な問題が押し寄せ、それこそ正気を保てたのが不思議なくらいだった。
HIVそのものの怖さとともに『恐ろしい感染病』というマスコミ報道に先導された社会的偏見、それとも戦わなければならない。
免疫機能の状態を示す血液検査を受けるため月に一度病院へ通う。するとそこで仲間・友達のお母さんに出会う。
ある時、お母さんが待合所で他の患者に悟られないように「お元気?私のところはこうです」と言って手振りで階段を下るような仕草をされる。
つまりCD4の数値がどんどん下降し、日和見感染症を発症してしまった状況を説明するのだ。
そして涙を浮かべて「志田さん。あなたは息子の憧れ、目標の人でした。どうぞお元気でね」と励ましてくださった。
その友達はそれから一か月も経たず逝ってしまった。
また別の友達(私の同郷の血友病者)を病室に見舞った帰り際、その友達のお母さんはエレベーターで階下まで送ってくださる。ずいぶん丁寧だなと訝る私にエレベーターの中でお母さんは、「志田さん、長いこと友達でいてくれてありがとうございました。うちの子はもう駄目です。あなたには奥さん、子どもさんがいらっしゃる。どうか息子の分も頑張って長生きしてください」と、頭を下げて挨拶をされたのだった。
HIVは私から一人、また一人、そしてまた一人、神隠しのように仲間・友達を奪って行ったのだった。
そして今、私はその仲間たち、友達が到達することの叶わなかった年齢に到達し更に月日を重ねている。
私は特定の宗教に帰依している訳ではなく、むしろ無神論者に近いけれど、この年齢まで到達できたことを思うと、神の恵みであろうとしか思えなくなる。
先に逝ってしまった仲間、友達が私を支え、励ましてくれていることを感じる。
こうして文章を綴っている時にも、ずっと彼等のことを想い彼等の笑顔を想い出す。
もう会えない哀しさと一緒に、私の心にずっといてくれる喜びを感じる。
たくさん、たくさん出会って、たくさん、たくさん楽しい時間を一緒に過ごした。
だからその分たくさん、たくさん悲しい思いに耐えなきゃならなかったけれど、私はあなた達に出会えて本当に幸せだった。
私にこの年齢の贈り物をしてくれたのは、あなた達です。
だから神様が私をお呼びになるその時まで、あなた達と一緒に生きて行きたいと願っています。