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遺族の声

 

                                             メモリアルキルトとは

 メモリアルキルトは、愛する人をHIV感染症/AIDSで亡くした家族や友人たちの手によって、 その人への思いを、生きた証を記録しようと生まれたものです。90cm✕180cmと人が横たわれる大きさの布に、 亡くなった人の愛用していた品々などが縫いつけられ、メッセージも思い思いに綴られています。 差別と偏見により人一倍のつらさや苦しみを背負った短い人生……その中で一生懸命生きた事をキルトはそっと語りかけます。

球少年のキルト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私が初めてキルトと出会ったのは、1997年の遺族の交流会でした。 亡くなった方の身につけていたものや、大好きだったものなどを、一枚の布にひと針ひと針、 心を込めて縫いつけられていました。キルトの話をして下さる時は、大切な宝物のように、 また本当にキルトが息子、 夫であるかのように、いとおしさとやさしさがあふれていました。

 

 「忘れない」絶対に忘れないよ、あなたのこと……あなたがどんなに頑張ったか、あなたがどんなに闘ったか、 あなたがどんなに悔しかったか、キルトは静かに強く伝えてくれます。
  いつの日か私も息子のキルトをとの願いが叶い、メモリアル・キルト・ジャパンのかたの力をお借りして、 野球の好きだった息子のキルトを作ることができました。
 初めて息子の服にはさみが入った時は心臓がきゅっとなりました。
 でも好きだったものに次々と変身していきます。

 パジャマが野球のユニフォームになったり、Tシャツがボールになっていきました。
 息子は9歳の時に発病以来、学校に行けない日が殆どで、家にいる時はこども図書館で借りてきた本を読んだり、漫画を読んだり、 テレビを見て過ごしていました。野球の選手になるのが夢で、プロ野球や高校 野球のテレビ番組も楽しみにしていました。

入院中は朝早くスポーツ新聞を買わされに行ったものでした。

 家の窓からは、近所の子供達が公園でソフトボールの練習をしているのが見えます。

 ある日ぽつりと、「僕、野球の選手はやめて、審判にしたよ。」と言いました。

 その頃の息子は体重が極度に減り食欲もなく、 常に熱に悩まされていました。

 この病気は夢まで息子から奪うのか思うと、哀しくやりきれない気持ちでいっぱいになりました。

 キルトの中には、虹にむかって大きなホームランを打っている息子の姿があります。

 大好きだった愛犬、猫たち、元気だった頃遊んだゲームやチョロQ、いつか吹きたいと言っていたトランペットなどに囲まれながら、息子がいます。

 息子は13歳で生涯を閉じました。

 HIVという過酷な宿命にも、けなげに生きぬいた息子……静かな静かな最期でした。

 短くても一生懸命生きた事、キルトが伝えてくれたならと思います。

 そして、二度とこのような薬害のない明るい社会でありますよう、この願いをキルトに託したいと思います。

「被害者の会のキルト」

 

 

 

 

 あなたの命を無にしない
 亡くなった方の生きた証を残したい──
 私たち遺族の思いを伝えたい── 
 そんな願いから「大阪HIV訴訟原告団のキルト」を作りました。
 たんぽぽの花を中心に、天使が綿帽子に乗って私たちの思いを世界中に運んでいく・・
 あなたの死は決して無駄にしない。
 生きたくてもそれが叶えられずに若い命を絶ちきられたあなた――
 生きる事の大切さを人一倍、心に思っていたことでしょう。
 そして、自分たちと同じ思いは二度と誰にもさせたくないとの願い。
 キルトはそっと語りかけるでしょう。

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